報われる
「報われる」って何?
努力や苦労において、それに見合った期待通りの成果、成功が得られることを指してこの言葉が使われるという。ならば、報われるという言葉を好んで使う者にとっての努力や苦労とは、その行動の背景に必ず何らかの期待を欲していることを指すのだろうか。
何らかの見返りがあってこその努力、苦労。そのような見地の捉え方が価値基準になっているなら、それは明らかにエゴの呪縛である。
ただし、エゴは決して悪者だけではない。エゴが自分に教えてくれることも、たくさんある。問題は、エゴの渦の中だけに居留まっていることであり、そうではなくエゴを捨てたところから見える景色を確認し、その意義を知ることを経過できているかということだ。そこでもし、自らの意思でエゴを捨てることができるとしたなら、その到達点からの景色は、これまでの自分の崩壊を姿を見ることができるだろう。
そして、「無償の愛」というワードが、その先に見えてくるようになったら、ぜひ私と一緒に酒を酌み交わそうではないか。
私は「報われる」という言動と意識が好きではない。
これからも、ずっと好きではない。
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