手放した先に
「過去に貰った手紙の中で、目に触れるだけでも辛くなってしまうようなものはありませんか?」
遠方に暮らす友人からのメールに、そんなメッセージが含まれていた。
なんでも、今この時期に、そのようなものを手放し、心身ともに身軽になって変化を選ぶことが大事であるということが、頂いたメールの核心となるメッセージのようだ。
「ああ、確かにあるね」
その行為に何の利点があるのかと尋ねられれば、確かな裏付けのある回答を持ち合わせている訳ではない。それでも私のインスピレーションは、このメッセージを直ぐにキャッチし、委ねてみるという流れを自然に選ぶことができた。
このような局面になって改めて思うことは、手紙というものは偽りなく書き手の魂を映し出しているということだ。
言葉の選び方、整え方、抑揚の潜ませ方はもちろん、筆記具の走らせ方、便箋の使い方などの細部にまで、其処にどのような装いが施されても、根ざされてある筆主の人間性を覆い隠すことはできない。
処分するための袋に入れたのは、封書の手紙のほか、ハガキ、グリーティングカードなど、それなりの数が揃った。中には、つい先日届いたばかりの手紙も含まれている。
処分が終わった後に思った。
手紙は怖い。
筆一つで、拷問の果てまで落とし入れることができる。だから、すぐに我が身にふり返ってみなければならない。
お前は、筆に誠実でいられるか。
手紙を手放した先で、友人のメッセージをキャッチできた意味を、ようやく見つけることができたようだ。
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