アンニュイとスピリチュアル

ラジオを聴いていたら、懐かしい曲が流れてきた。


「雨音はショパンの調べ」


昭和の終わり頃、この人が大好きでよく聴いていたことがよみがえってきてくれた。

あの時代、「アンニュイ」というフレーズがキャッチーにもてはやされ、思考の浅い会話を交差させている若者風俗文化が浸透していた。

その先端にいたのが、小林麻美だったように受けとめている。

そんな、浮遊感があの時代の若者文化には存在していた。だから、銀色夏生が、あんなに売れたのだろうと分析できる。

そして、今のこの時代にも浮遊感は存在する。

それをリードしているワードは、「スピリチュアル」。

アンニュイもスピリチュアルも、私に言わせれば地に足が着いていない浮遊感を表す最たるワードだ。

オーダーしていた、小林麻美のCDが届いた。

案の定、あの「浮遊感」に埋もれた音楽が詰め込まれていた。

その浮遊感には、多少の気恥ずかしさと同時に、愛おしさを感じることができる。同じ時代を駆け抜けてきた輩の一人として、いまも愛することができるだろう。

一方のスピリチュアルの浮遊感には、それがない。

きっと、あと何十年経過しても、「ない」という感覚に変化はないだろう。


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