罪を被せてしまったモノ


 自分の身の回りにある、様々な所有品。それぞれに何らかの縁があり、今こうして自分の生活とともに在る。それらの中には、購入を夢みて入手できた念願の品もあれば、大切な思い出の記念品などもある。

 しかし、すべてがそのようなプラスの要素に染まったモノばかりではなく、例えば今や縁がぎくしゃくしてしまっている人物からのギフト品や、あまり思い出したくない出来事が遭った時にたまたま身に付けていたモノなど、マイナスの印象を拭えずにいるモノも、少なからず持ち合わせているようだ。そして、マイナスのモノは、視界へと入ってくる度に、心中に仕舞っておいたマイナスの記憶がフラッシュバックする作用を持ち合わせている。

 マイナスのモノには因縁が潜在されるが故に、手放すことが困難化となるモノが多いようにも伺えられる。 

 「モノには、何の罪もないのにね」 

 心の中で、そのような呟きが聞こえてくる。人の心は身勝手なものだと、痛いほどに感じられる瞬間だ。 

 今日も、「これ、着て行こうかな」と、手が伸びた服があった。しかし、すかさず「いや、まてよ」という念が入り込んでくるのがわかった。その服には、思い出したくない出来事が、染み渡ったままにされていたのだ。 

 モノには、罪はない。 

 そう言い切ってしまえる自分に派生する「躊躇」は、単に心の弱さの露呈に過ぎないものなのだろうか。  

 モノに被せてあるままの罪。  

 そこから浮かび上がってくれる学びに、心の耳をもっと傾けていきたい。

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